【人生】介護と子育て-心のもちようで楽になる
◆介護と子育て
「人の世話をする」というのは、身の回りの面倒を見るということとは全く違います。
介護人は二人分の食事を作り二人分の洗濯をすれば良いわけではありません。また怪我や徘徊に気を付けておけば良いというわけでもないのです。
人格を大切にし楽しみや生き甲斐を感じられる生活を共に送る努力が必要なのです。
介護人は行動だけではなく思考すべてが介護時間、つまり生活そのものになります。
そしてそれは子育ても全く同じです。
決まった時間に食事を与え泣いたときにだけオムツを替えるという、身の回りの世話をすることが子育てではありません。
◆みんな意思を持って動き回る
1才7ヶ月の娘の最近。
-椅子によじ登ったり、まだまだよろめく足で隠しておいたはずの尖ったえんぴつを持って走り回る・・・
認知症の親の最近。
-何かを探しているのか家から出ようとします。
どちらも意思を持っています。
それが何なのか見ている側にはわからない、
さらに二人同時にみているとなるとじっくりと本人が納得するまで付き合うことができないのです。
◆子育てしながら介護は大変そう・・
端からみればそのように目に映るかも知れません。
確かに心身ともに追い込まれます。
-娘がようやく昼寝をしたそばから、親が独り言を言う。それによって娘が起きて泣き出す。抱っこしようとした隙に親の姿が見えなくなる。
しかし、手がかかる年齢のこどもが二人以上いれば同じことだと思うのです。
例えば上の子がイヤイヤ期、下の子は活きの良いマグロのように暴れながら抱っこ紐から出ようとする、、
注意を払い、危険な行動を止めさせるという労力に変わりはありません。
◆心だけは”もちよう”で変えられるかも知れない
先に「心身ともに追い込まれる」と書きました。
ここでふと、ヴィクトール・フランクル「夜と霧」を思い出しました。
与えられた運命に対して、態度を決める自由があるということです。
つまり自分がどうあろうとするのかを決めるのです。
まず、私にはコントロールできない状態により疲弊するという外部要因のせいにする考えを改めました。
コントロールできない状態ではあっても、それを容認し疲弊する自分を選ばないのです。
そして二人をみるときは、イライラせず優しくある、と決めました。
いまのところ「自分の心が決めたもの」であるというだけで、とても楽に二人と過ごすことができています。