ここまで指摘・訂正されることによる自尊心の傷つきや、モンテッソーリ教育の考え方について書いてきました。
では、間違えることで学ぶ脳の仕組みをしっかりと生かすためにはどうすれば良いのでしょうか。それについて書いていきたいと思います。

黄色いスマイリーフェイスボールを持つ手

◆学校と二人三脚で。

娘の担任の先生は、入学当時から「失敗は宝物」と言い続けていました。
家庭でも「間違いっていうのは、いまはその答えを知らなかったんだねという結果がここにあるだけ。知れば間違わなくなるから、もう一度、正しく知ってみよう」と声をかけています。そう。間違っても、「これは最大の学びのチャンスだ」と子どもが思えれば良いのです。

◆もっと深堀りしてみると・・・「娘が間違いを嫌う本当の本当の理由」

数式用紙に茶色の鉛筆


ある日、娘が宿題を確認してほしいと言ってきました。
見てみると「7+3=9」になっていました。これは学びのチャンス。

・最後までやってあることを認めたうえで、
・「お母さんが見た限りはここだけ(7+3=9)かな」と言いました。間違いとも合っているともいわずに。

娘は答えが間違っていることに気づき、一瞬がっかりしたような嫌だなという顔をしましたが「失敗は宝物」といって気持ちを切り替えました。これは先生が言い続けてくださった言葉です。言葉というのは、自分が口に出して言うことで自分自身にもそれが聞こえてきます。そうすると、聞いている自分が感情コントロールできるということがあります。それをセルフトークといいます。

・本当の本当の理由とは・・・

そして、次の瞬間、娘が言いました。
「失敗は宝物だから、それでいいの。でも私が嫌なのは、きれいなノートにあれこれ書かれることなの」と。
ノートには鉛筆の黒い文字とシンプルな赤丸だけが良いというのです。
しかし、間違えると「×」や「✓」などあれこれ書かれます。間違えること自体が嫌なのではなくノートが汚れるのがいやだということでした。

学校では生徒の答案やノートを確認して、目印として「×」「✓」をつけるのは仕方がありません。
だからこそ、家では間違いを見つけた場合は、「どのように伝えるのか」を考えてみると良いと思います。
勉強は、最終的に理解することが目的なので、わが家では子どもが理解した時点で「○」だけを書いてそのページを終わらせています。

間違うことの何が嫌なのか?の背景に目をむけると、親の接し方も変わって、子どもの中でも、間違いに対する捉え方がかわってくるはずです。

◆最後に

わが家では、
・先生の「間違いは宝物」という言葉で気持ちを切り替えてる
・「失敗は宝物」のおかげで2回目にチャレンジ。その時には失敗しなかったことが嬉しいという感情を体験している
・答えが間違っても指摘しない
・娘と話し合って、間違った場合の伝え方(✖、✓は書き込まない)の仕方、正解になった時の終わらせ方(シンプルに○をつけるだけ)を決めている
・そのことによって、宿題も勉強も嫌な時間ではなく、もしかしてうれしく楽しいことが待っているかもしれない、

ということを繰り返すようにしています。これが奏功しているのか、娘は勉強も宿題も嫌がることなく、決まった時間になったらはじめて気が乗ると追加で好きな勉強をするようになりました。