この4月から小学校1年生になった娘。

娘が生まれてからの6年間、
モンテッソーリ教育を専門として、
その他のオルタナティブ教育も学びながら、
大人のあり方と子どもへの影響、ひいてはそれが人間社会を形成するというところまでを毎日毎日学んできました。

そしてどこでも聞くようになった“自己肯定感”という言葉。
小さなことからひとつづつ“できた”を重ねて自信になる・・・というのもよく聞きました。
特にモンテッソーリ教育では子どもを見守って、できたを増やす・・とおっしゃる方もいらっしゃいます。

それはそのとおりなのですが、私としては、“できた”ということそのものが
大人が設定した目標に対して、結果として“できたねー(完成したねー)”という表現になっているような気がしています。
本来は「できたね!」なんて大人が言わなくても、「できた!」って子どもが心の中で思うものなのです。
*できた!というよりは、そこまでやって満足した、という表現の方が正しいかな。


だからこそ、
子どもがやっていることに対して大人が何らかの評価をする必要はなく、
そのプロセスを見ているよ、知っているよ、取り組んでるんだね、という事実承認だけで良いと思っています。

そしてそれが、「私はこれでいいんだ。私はこのままで受け入れられるんだ」という無意識の思いにつながっていくと思います。
つまり「I’m OK」という状態。

そういった大切な軸に何度も何度も引き戻してくれたのがモンテッソーリ教育です。

私がモンテッソーリ教師だから他のお子様は冷静に見られるのにわが子には辛辣に当たっていることを
いつも実感させられていたのが、自分を客観的に見られた要因かもしれませんが・・。
いずれにせよ、そんなことを意識しながら、激しい癇癪があった娘に向き合ってきました。
何度も娘に怒鳴って、怒鳴るほどに激しくなる癇癪に辟易して息を吸ってまた怒鳴る。
意識していることと、実践できていることって違う、と心の中で泣きながら。。



しかし、小学校1年生になった娘、
少しづつこれまでの対応が娘の人格を作っていると思わされる出来事が起こるようになってきました。

お友達の対応でいやだなと思ったことを、自分の言葉でいやだったよ、と伝えたこと。その後様子を見つつも、その子と仲良くしていること。

自分の思いは自分の言葉で伝えて良いし、
それは相手を排除することではないし、
伝えたからといって大人のように気まずくなることもない。

伝えることで前進する。

自分は大丈夫。
世の中も優しい。

そんな考えが娘の中で育って行っているように思います。

モンテッソーリ教育の中で何度も試行錯誤して、思う存分、自分でいられたからこそ自分で学んできたのではないかと思います。

*もちろん、娘が自己選択する楽しさや責任、そして物事にじっくり取り組む楽しさを知ったのはモンテッソーリ教育そのものの直接的な育ちの部分かなとは思っています。