【子どもへの接し方】モンテッソーリ教育の基礎となるもの

ここ最近取り組んできた“ほめ方叱り方”。これは単なる声かけではなく「子どもを無条件で受け入れることができているか」を見直すとても奥深いものでした。

モンテッソーリ教育をしているわが家でも、娘の激しい癇癪(2歳過ぎ〜3歳)の時には、「何が言いたいの!」「何でそんなに泣くの!」「私にどうしろっていうの!」と、日々、目の前の出来事に翻弄されていました。

「子どもの今を見守る」なんて出来ない!“子どもの今”は、目の前でドアを蹴り大の字で寝転がってひたすら大声で泣きわめくわが子がいるだけでした。イヤイヤ期という言葉すら、微笑ましく思えるくらいでした。

そんな娘も4歳半。“自分の抑えきれない感情”と“それではいけないという気持ち”とたたかっている様子が垣間見えたりして、毎日成長を感じます。

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ほめ方叱り方に真剣に取り組んだこともあり、今ならわかる。

「子どものやりたい気持ちに寄り添う」「できた!をたくさん経験させてあげる」、そんなモンテッソーリの大人のあり方は、まずは大人自身が『子どもに、どういった期待をしているか』を知ることから。その期待は『こうあるべき』という偏見からきていることが多々あるからです。

モンテッソーリ教育を実践する人間として、子どもをありのまま受け入れたかったのは山々でしたが『こうあるべき』が強すぎた私は、わが子にたくさんの期待をしていました。

『泣いてもすぐに泣き止むべき』『嫌なことがあっても、ドアを蹴ることはすべきではない』、そんな気持ちすべてが私の偏見(価値観)から来ているものでした。

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『なぜ、すぐに泣き止むべきなのか?』を考えた時、『泣きすぎるとこちらが疲れるから』が根底にあったとしたら、泣き止ませることが親の行動の目的になります。そのために叱ったり、なだめたりします。

だけど子どもは、泣き止ませてほしいのではありません。泣いている気持ちに寄り添ってほしいのです。

「泣きたいんだね」「そんな気持ちなのね」、へそを向けてそう言い続けられるかどうか。娘の癇癪中はこちらもパニックだったので、そんな言葉をかけられるかは今でもわかりませんが、「泣き止んでよ!」と言うよりは、子どももずっとずっと心穏やかになるはずです。

そして数年後、受け入れてもらった経験をした子どもは穏やかになっているはずです。

多くの子育てにテンヤワンヤな親たちへ。大丈夫、子どもは必ず成長します。優しい子になります。親の受け入れがあれば。

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まもなく横浜戸塚で、モンテッソーリ教室をスタートさせます!

モンテッソーリ教育を家で実践するための本格的な講座も準備中です。

ホームページが完成したら、報告させていただきます(^^)

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