【人生】組織で仕事をするということ

育休の2年間でだいぶ薄れた”組織で仕事をする”という勘。必要か否かは立場で決まりますが、この勘というものが恐ろしく頭を使うことなのだと感じています。

関係者の立場、思考、発言、立ち居振る舞い、力関係と思惑、本来は共通であるはずの目的も、一個人にとっての重要度が異なり軋轢を生むことがある。

そして、その組織にいる自分は、意思をもった個人ではあるものの、組織の一員という立場が与えられている。

私はこれらのことを仕事のベースとして無意識で捉えることが「勘」であるように思います。

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育休でこどもと向き合い、成長を見守り、”生きていくこと”に焦点を当てる毎日では、この「勘」はほとんど必要ありません。

私は十数年間、会社組織で仕事をしていましたが、空気のように読み取ろうとしてはたらいていた勘も育休で薄れていきました。

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それが久びさに呼び起こされたのが、昨日でした。昨日、とある人から仕事の相談を受けました。

複雑すぎる仕事と関係者も、ひとつずつ分解してから、そのひとつひとつを見てみると、単純なことが積み重なっています。それが複数集まり複雑になっているだけなのです。

しかしそこで「こころ」が絡んできます。許せない思いは複雑な事象をひとくくりの悪と見なし、つらい思いはそれが今ある現実すべてだと思わせるのです。

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そこでひとつ「見方」を変えてみます。

起きている事象に反応的にならない。許せない、つらい、そう思わないように努めるのです。

それでもダメなら逃げるのが有効です。逃げてしまえば、意外と成るように成り、誰かしらが進めていくものなのです。