【人生】人格について考える
最近、子育てと介護をする中で、自分の言動を振り返ることが多くなりました。
自分が与える影響力を想像して、怖さを感じているのかも知れません。
自分ではない人間の人生を委ねられている責任によって、「自分さえ良ければ」という考えと決別したように思います。
他人に責任を押し付けていないか、主体的に生きているか、自分以外の人を認めているか、を一日のいろいろな瞬間に考えるようになりました。
◆私という人格はどのようなものか
哲学のようですが、そんなに小難しく考えているのではありません。
- 何を大切にしているのか
- どんなクセがあるのか
- 他人に優しいのか
- 自分本位(ワガママ)なのはどの程度なのか・・
・・・
すでに作られたものが自分の中にはあるはずです。
それを土台に社会性を身につけ、考え方を形成し、知識を身につけてきました。
その土台である「私という人格」は、今後”目指すもの”に変えていけるのかを考えるようになりました。
それは次に書く親の姿が影響しています。
◆言葉を忘れても、残っているもの
私の親はほとんどの言葉を忘れてしまいました。名前さえもわかりません。
それでも、毎日笑顔で言う言葉があります。
「おおきに」
「ありがとうございます」
「嬉しい」
「大好き」
「おいしい」
「気持ちがいい」
「たくさん食べた」
これらの言葉は全て前向きな楽しい表現です。言葉を忘れてもなお、残るものはその人の人格ではないかと思うのです。
私の親は優しさに溢れた人だったのだと思いました。
今後は病状が進行し、人格さえも失ってしまうかも知れません。だから、いまは、この優しさをしっかり覚えておこうと思います。
◆今から自分は変われるか?
認知症になると、初期段階では忘れていくことが認識できるためイライラが募り暴力的になることもあるそうです。
おそらく親がこの段階にいたとき「思い出せないことが多い。みんなに迷惑をかけてないか心配」としきりに言っていたのを思い出します。
もし私が親のように言葉も判断力も失ってしまったら、どんな人格が表面化してくるのだろうと考えます。
有名な言葉で
思いの種を蒔き 行動を刈り取る
行動の種を蒔き 習慣を刈り取る
習慣の種を蒔き 人格を刈り取る
人格の種を蒔き 運命を刈り取る
というものがあります。
ちょうど新年でもあるので”理想の自分の人格”を描いてみて、行動する1年にしてみようと思っています。もし言葉を忘れてしまっても優しい人でありたいです。