【人生】「おかまり」の思い出
最近、よく聞くようになった「人生100年」という言葉。
これは長寿化を意味していますが、健康年齢も長くいられるよう、食、運動、知的活動、多くの情報が溢れています。
この人生100年時代において、昔と変わらぬ時間が流れているかのような人たちに出会いました。
昔と変わらぬ、といってもテレビで見るような人は少ないながらも温かな田舎に流れるゆったりとした時間とは異なります。
情報量も環境も、おそらくここ何十年も変わっていないであろう北海道の東の端で、寒さと海風の中で一生懸命生きてきた人の時間の話です。
人生をとてもシンプルに捉えていました。
今回は、このことについて書きたいと思います。
私がたまに訪れることになった納沙布岬。北方領土が見える場所です。
ここに8人兄姉の末っ子に生れた人がいました。
その人が2才の時に、船乗りの父親が海で亡くなりました。それから母親はひたすら苦労して全員を育てました。
この人のひとつ上の姉は小学生のときに捻挫をしました。しかし女手ひとつで子供を育てている母親に心配をかけられないと、捻挫のことは誰にも打ち明けられなかったそうです。その後、骨が変形し普通には歩けなくなりました。
その姿が不恰好でお嫁に行けないだろうと、兄弟たちはお金を出しあい、洋裁を習わせ自立できるよう彼女を育てました。
しかし、彼女の妹(この話の張本人)だけは、このことにより、幼い頃から耐えることを自然と強いられるようになりました。
この人は、幼い頃から姉の面倒を見ながら、家計を助けるために「おかまり」をしていました。方言で、アルバイトやお手伝いという意味のようです。
先日、静かな夜に、海を見ながらこの人と車を走らせていました。
凪の海に、きれいな月明かりが映りあまりにも幻想的で感動していました。
すると、その人が、おかまりを思い出して辛くなる、とぽそっと。
毎日夜が明ける前の3~4時に家を出て、ひたすら昆布干しをしていたそうです。
寒いも辛いも言えなかったといいます。北方領土の見える岬での苦労の思い出です。
最近は昔の無理がたたって腰痛がひどく、仕事もやめたといいます。
誰にも迷惑かけず、静かにやわやわと(ゆっくりと)生きていきます、と言っていました。
人生をうらむこともあるけれども、まあ、それなりに幸せもあるしこれでいいんだと。
年をとれば死ぬし、今あるもののなかで過ごしていくと言っていました。
この人(たち)にとって、寿命は100年ではないし、積極的に何かを生みだし輝いていたいといった考えもない。静かに年を重ねるだけなのです。
ものに溢れ、せわしく生きる環境にあるわけではないので、これが良いも悪いもわかりません。
ただ、何かにいき急ぐ自分のことを、距離をおいてみてみようと思いました。