【こどもの可能性】日常の困ったこと-モンテッソーリ教育から考える

1才8ヶ月になったばかりの娘。

何か特定のことで、火がついたように怒ることが増えました。

ある日、私の財布からポイントカードやキャッシュカードなどを取り出し遊んでいました。ぱっとみると免許証がない。
そこで娘が遊んでいたカード類を確認しようと手を伸ばしたところ・・・

突然怒り大粒の涙を流して泣いたのです。

私も驚いて、ごめんごめん、と言ってカードから手を離しましたが泣き止みませんでした。

また別の日、紙コップを10個ほど重ねて遊んでいました。それを見て、糸電話を作ろう!と思い「紙コップ2個ちょうだい」と言い手を出すと、怒って紙コップを投げ大泣きしました。

糸電話どころではなくなりました。

この姿を見た私の親が「ずいぶんと我が強いなあ」と言ったのでグサリときました。

しかしこれは「モンテッソーリ教育」でいう大切な「敏感期(時期)」なのだと思います。

◆「自分でやりたい!」時期

今の娘は、”自分の思うことを自分のやり方でやりたい時期”なんだと思います。免許証も急いで探す必要はないし、糸電話も必要とされなかったので、とにかく、娘が取り組んでいるものには触らないことにしました。

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続いて、もうひとつ。

ここ最近いつでも”水着”を着たがります。今は家の中でも薄着は風邪をひきます。なので水着の上に服を着せようとしても大泣き。仕方なく服を着せてから水着を着せています。

とても外出できる格好ではありませんが、、、

それから私の履く靴も指定します。雪の日もサンダルを履くよう指定してきました。この日以降私は翌日の服装を決め、履く靴だけを玄関に出すようにしています。

翌日、いつもどおり玄関では娘が靴を指定。それは私が前日に決めておいたものなのでスムーズに外出できます。

◆「自分で決めたい!」時期

今は「自分で決めたい」時期なんだと思います。娘の目についたものでお気に入りのものがあれば、それにこだわります。

何でもかんでも従っていいの?我慢も覚えさせるべきでは?と思ってしまいますが、今は「我慢させることも教えるべき」時なのではなく「決めた満足感を知るべき」時なのだと思い、可能な限り叶えています。

とはいっても、「規律の中の自由」が重要なので、教えるべきときは教えルールがあることも覚えさせる必要があります。

◆すべての「時期」は終わってしまう

これはモンテッソーリ教育の「敏感”期”」の考え方で、”期”というだけあっていつか終わりを迎えます。

つまり、今この”期”に芽生えた意思や心にいかに寄り添うかが重要です。

「やりたい」「決めたい」、これは自立への第一歩です。

ここを我慢させ強制的に押さえてしまうと「やりたいことはできない」「自分では決められない」と思ってしまい自立の芽を摘んでしまうことになります。

親としてはとことん付き合うのは難しいのですが、できる限り、見守り支援していきたいと思っています。