あとるネット記事で「勉強の習慣」について書いてありました。
小学生を持つ親からは、子どもが宿題をやりたがらない、自ら勉強しない、という声がよく聞かれるようです。
「人間は習慣の生き物」だという哲学者もいます。そう、私たちの日常も、習慣でできていると思いませんか?
つまり勉強も習慣化することが重要だというのです。しかし、習慣化する前に、「そもそも勉強が嫌い」という状態になっていることも・・・

◆勉強をスムーズにはじめるには「習慣化」

習慣とは、とある状況になると自然とする行動のことをいいます。例えば、食事前には手を洗う、朝起きたら歯磨きをする、などがありますね。そのように行動がパターン化されるまでには、毎日、同じ状況で同じ行動をとることが大切です。勉強も同じ。毎日少しづつでも習慣化できるように日常生活の中に組み込んでいきます。

◆勉強が習慣化しにくいわけ

「習慣化といっても、そもそも勉強したがらなくて・・・」
私たち人間は、行動を起こすときに、そのことによって快か不快かどちらの感情になるかを無意識のうちに考えています。それを勉強と照らし合わせ考えると勉強をすることで不快になると思っている可能性があるのです。
そもそも、脳は“間違えることで学ぶ”仕組みになっています。でも間違えると、不快な気持ちになって拒絶反応を起こし、学ぶとは正反対にいくのでは?と思いますよね。
さらにひも解いて、間違えた時になぜ不快になるのかを考えていきましょう。

◆間違えることで不快になる原因と考えられるもの

例えば私たちが知らない漢字を書いて、間違えるとします。間違えた時に周囲から指摘されることなく、自分で気づけば書き直して完了します。
しかし、その時、親に「ちゃんと調べた?」「間違ってるよ」などと指摘されたらどうでしょう。すっかりやる気がなくなり、さっさと終わらせて、その空間から離れたくなりますよね。
わが子で言えば、私たち親が、子どもの間違いを無意識のうちに「指摘」しているのです。これでは自尊心を傷つけられてしまいますね。

◆指摘せずに教えることを大切にしているモンテッソーリ教育

本のページに触れる少年

モンテッソーリ教育の中で、このような言葉があります。「教えながら教えなさい。訂正しないで」
私たちはどのように子どもに教えているでしょうか?
もしかすると「こうやってやるんだよ」と言って、間違いを正すために教えているかもしれません。つまり間違いを指摘し、訂正しながら教えているのです。相手の間違いを指摘して正しくはこうやる、と教え込むのは簡単です。そして、それが私の考える「教え方」なのです。
しかし実際にやり方をどこまで理解したかもわからない、(私たちの考える)失敗を繰り返す子どもには、「ここがこう違う」という指摘はせずに、何度もやり方を見せ、伝えるのです。
誰だって指摘されると嫌な気持ちになりますよね。


□□□□ 後編では「勉強することによって受ける不快な感情を、プラスに変えていくには」について書いていきます。