モンテレッジョとほめ方叱り方①

モンテッソーリ教育とレッジョ・エミリアを知り尽くした児童発達学博士から学ぶ“ほめ方叱り方”トレーニング講座↓

講師の先生が美人で素敵で、どうしても受講したくて···何より“ほめ方叱り方”といっても、テクニックではない真髄が学べそうで即申し込み。(先生のコメントや受講生ひとりひとりへ向き合ってくださる姿、さらには英語の発音が良すぎて聞き取れないところまで素敵すぎて、先生への思いでブログひとつ書けそう)

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全5回の第1回目。

私のテーマは【娘をありのまま、そのまま認められるようになる!】→第1回を受講し終えて、もっと具体的に言語化することができたのですが、まずはこれが目標でした。

私は子どもを保育面から知るためにチャイルドマインダーを取得し、心理面、脳の発達についてもさまざまな場において学び、

モンテッソーリ教師のトレーニングを受け、レッジョ・エミリアの基礎知識を学び、アドラーパセージに3ヶ月間ひたすら取り組み(何度泣いたことか。。)、

今から1年半前には昼夜問わず泣き叫ぶわが子に悩み保健師さんや臨床心理士さんに相談をしてきました。

そこにはいつも「子どもの成長は非可逆だ」という思いがあったから。もちろん大きくなってからでも取り戻すことはできるのですが、今のことは今やっておきたい、と考えているからです。

※ちなみに今は、ルーティンメソッド(船橋インターナショナルスクールで実践されている)も学んでいます。生活=習慣形成、と親子の信頼関係や子どもの成長が密接に関わっていることを学んでいます。

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【子どもの観察と見方】、これは本当に重要で、これが全てではないけれどもこれがなければ全てがないとモンテッソーリ、レッジョ、アドラーでわが身に叩き込まれました。

自分の子でなければゆっくり見守ることができるのに、なぜわが子のことはこんなにも見守れないの!?

わが子は人一倍癇癪持ちだから!?(悩みに悩んだ2歳半〜、娘を形容する言葉は“やる気、根気、癇癪”でした!)

それは娘が4歳になった今もくすぶり続けている思いでした。

「子どもの見方」「子どもの発達」についてはよくよくわかっているつもり。ママさんたちにも理論とともに話すこともできる。

だけど、よくわからない娘!2歳半から半年悩んだ癇癪も3歳になっておさまったのに、4歳になった最近では、少しでもマズイことがあるとすぐに泣き、泣くと叩く。え?これ、2歳くらいでよく見かけた他の子どもたちの光景では?これが4歳になって現れたの?(実は原因は私にあると薄々、、、いやハッキリわかっているのですが···)

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こんなことを胸に秘めつつ、ほめ方叱り方講座第一回目。

無意識のイメージ(バイアス)がどれほど行動に影響を与えるのかをエビデンスから知り(これもうすうすわかっていたけど)、うすうすわかってることって、それ以上でも以下でもないとつきつけられました。

そして私のもってる【偏見】とは?を探る偏見ワーク。偏見が私の娘への対応を決定している張本人。子どもの観察、見方を学んできたけれども、そこで見えている子どもの姿は結局、私の“偏見レンズ”を通して見えているんだなと気づく。

偏見といっても差別的なことではなく、「こうあるべきなのに」と、私が見たいように見ているということ。

そしてそれが何故娘にだけ起きるのか。

わかりそうでわからない。だけど第2回目のロープレと先生の言葉から、その端緒が開け···そうになっています(今)

モンテやレッジョ、アドラーを学べば学ぶほど子どものことを知ることができます。だからこそ腑に落ちて子育てが楽になる反面、「わかってるけど感情的にもなるよ··」という思いが沸き起こることも。そんなときに思い出すのはその感情は“偏見”によるものかもしれないということ。

そして、この偏見とどう対峙していくか。

これが、私の受講目的「娘をありのままそのまま認められるようになる!」(今はさらに深堀りされてますが)を果たす鍵になると思うのです。

(ロープレですら偏見の片鱗を見ることになってしまった、、、現実ではどうなってることやら、、)