私のこと、誉めなくていいよ!

「叱らない子育て」が注目され、

さらば「誉める子育て」で自己肯定感を伸ばそうと言われ、

次は「賞罰なし」!?誉めず叱らず。

つまり何もなし???

それでどうやって子どもをしつけるか?

賞罰なしは時代と共に現れたわけではありません。もう100年以上前からアドラーもモンテッソーリも提唱しています。

心理的に見ても賞罰を与えられた子どもの姿は親の望むものではないようです。

=これはわかりますよね。

「次、こんなことしたら夕飯抜き!」

きっと「こんなこと」と「夕飯抜き!」は無関係。これは罰です。

“こんなこと”をやめる力を持つのは夕飯なのか?と言うことで、これは即効性はあるかも知れないけれど、何も生み出さない罰です。

=これは使い方が難しい!

子どもがよく頑張ったときに「よく頑張った。エライねー!」。

と言うのは言い過ぎです。

もし、自分だったら辛い試験勉強乗り切ったときに「エライねー!」と言われたらどうか・・

そしてそれを言われすぎると「エライねー!」がなくなったときに、・・あれ?物足りない・・・と思ってしまうかも。

もう賞なしでは動く気になれない、ともなりかねません。

これを実感した先日の出来事。

いつも娘は、自分が遊んでいるときに友だちがおもちゃを触っただけで「とらないで!!」とすごい剣幕。

(実はここ一年間、おもちゃをとられ続けた経験をしており、かわいそうなところもあるけど)

それが小雨の日、自分はお気に入りの傘をさしていたけど、大好きな友達が傘を持っていなかった。

ふと見ると、娘は傘をささず友達が傘を借りていました。

その夜、

娘「今日はね、傘を貸せたの!」

私「見てたよ。お友達、嬉しそうに笑ってたよ」

娘「いつもはとられて嫌だ、って思うのに、今日は全然嫌だと思わなかった!なんか嬉しいの

私「知歩が嬉しいから、お母さんも嬉しい!」

こんな会話をしました。

「傘を貸せたの!」と言ったとき、娘は私から称賛がほしかったわけではないと思います。

そして、貸すことが嫌だと思わなかったことが誇らしく自信になったよう。

ここに「貸せたのはエライね」「すごいね」なんていう称賛も評価も不要だと思うんです。

貸せたことが誇らしく、嫌だと思わなかったことが嬉しい、

この気持ちが自分への称賛でありゆくゆくは自律(自分を律する。⇔他律は、他人が基準)につながります。

“賞罰”は本当に難しい。

子どもが何かを伝えてきたとき、欲しいのは称賛ではなく共感です。

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横浜戸塚・モンテッソーリ教室情報!

日時:隔週土曜(1日3クラス)

場所 :第2松本ビル 1階 奥の部屋

(横浜市戸塚区戸塚町4001 ホームページに場所記載あり)

※お車の方は駐車場がありませんので、近隣のコインパーキングをご利用ください。

対象年齢:0~3歳

ホームページ

https://peraichi.com/landing_pages/view/gs0q5

*お問合せはこちらまで:montessori.time1@gmail.com(主催:杉えみこ)