【こどもの可能性】モンテッソーリ教育(”提示”について考える)
ある日、娘が、おもちゃの電話を持って言葉にならない喃語で「うん、うん」「あぁい、あぃ」と言って、ウロウロと部屋を歩いていました。
電話を持っていない方の手には鉛筆を持っていました。
とても面白かったのですが、この姿、どうやって覚えたの・・・?
これはおそらく私の真似です。
電話しながらメモ紙を探している姿です。
こどもは目に入ったものをそのまま再現します。
所作はきれいに、丁寧に。こういった姿を見るたびに、気を付けなければならないと思うことばかりです。
こどもに、何かを教えたいときには、注視する声掛けを行い、やってみせることが有効です。
これをモンテッソーリ教育では【提示】と言って、その効果的なやり方を教えてくれます。
提示については先日このブログで書いたことを纏めてから、少し掘り下げて書いてみたいと思います。
◆提示とは
【1】まずは「見てて」と声掛けし、
だまって行動を見せる。
【2】「待っててね」で最後まで見せることが重要。
【3】もう一度やってみせる
ここで、提示の途中で、こどもがやりたがって手を出してくることが少なからずあります。
ここについては、いろいろな考え方があります。その考え方と、実際私がモンテッソーリ教育を取入れながら感じていることを書きたいと思います。
◆提示とモンテッソーリ教育
例えば、
・提示を最後まで見なければ、その道具(教具)には触らせない。
・途中で手を出してきたら、こどもを信じてやらせてみる
という、まるで真逆の考え方があります。
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この背景には、
・本来のモンテッソーリ教育ではどうなのか?
・親、またこどもは、どうすることが現実的なのか
など、異なった視点があるからです。
そこで、これらの話を聞いた私の試行錯誤について書きます。
◆こどもの気持ちを最優先に、モンテッソーリ教育の目的を達成するための試行錯誤
教具を、提示と異なる使い方をした場合その効果を得ることはできません。
よって、提示は重要な意味を持ちます。
しかし、途中でこどもが手を出してきたらどうすれば良いのでしょうか。
こういった場合、私は
- やらせてみて、その手指の使い方を見てみる。正しければそのまま、誤っていたり違う使い方をした場合は、再度提示する
ようにしています。
こどもにも、こどもなりのプライドがあると思うからです。
途中で手を出してきても「見てて」と言うと、見るときがあったりなかったりするのはこどもの意思だと思っています。
静止して教具を片付けるよりも、一旦こどもの気持ちを受け止めたいと思って、その行動を優先しています。
そこで集中できるものが見つかれば、家庭で取り入れるには十分な意味があるのではないでしょうか。