【人生】子育てで発見「認知症」への対応

これまで子供の成長や自立についてブログを書いてきました。

子供の成長を観察していると、ふと「認知症」への対応が見えてきたような気がするので、今日はそのことを書きたいと思います。

「成長」も「認知症」も加齢により進んでいくものであり対極にあるように感じられますが、行動を見ていると共通点がたくさんあります。

日々、若年性認知症である親と過ごしている中で見つけた私なりの解釈であり、医学的に正確かはわかりません。

しかし、この解釈により、介護がぐっと楽になっている事実がありますので紹介したいと思います。

◆乳幼児の脳と認知症患者の脳、そして行動について

大人から見た「子供のよくわからない謎の行動」は、すべて脳の発達に関係しており、どれもが重要な意味を持っています。

記憶を司る海馬が未発達であり、同じく人間の五感や行動を統合する側頭葉も未発達な乳幼児。

未発達な脳が発達を遂げる過程で、さまざまな行動が表れます。

一方、認知症患者の行動も、日を追うごとに理解できないものになっていきます。

一般的には「もの忘れ」から「見当識障害」に発展し、理解度がどんどん落ちていきます。

その原因は脳の萎縮にあります。アミロイドβと言われる異常たんぱくが脳に蓄積しており(それが原因なのか、結果なのかはわかりませんが)海馬が破壊され短期記憶から失われていきます。(もの忘れ)

つまり認知症患者の脳の萎縮の進行と、乳幼児の脳の発達は反比例しているのではないかと思うのです。

そして同じくらいの大きさの時点では、行動も似通ってくるのだろうと思っています。

最近あった変化について、例を挙げてみます。

◆ぬいぐるみに笑いかける

娘がぬいぐるみに笑いかけるようになりました。この過程を経て「ごっこ遊び」を始めるそうです。つまりこれは成長の一歩なのです。

一方、親もぬいぐるみに笑いかけるようになりました。奇妙だと嘆くところかも知れませんがそれで良いのです。なぜなら成長の過程で通ってきた行動だからです。

◆徘徊する。迷子になる。

娘が私を後追いしていた頃のことです。まだ記憶ができないために、隣の部屋にいたとしても姿が見えない=いなくなった、と思ってしまうようです。

最近は、姿が見えなくてもそこにいる、ということを記憶できるようになり後追いもなくなりました。

親も先日迷子になりました。おそらく目的を持って歩き出したものの、それを忘れてしまい迷子になったのだと思います。

「徘徊が始まった」とは思わず、歩いた目的を忘れてしまったんだと思うようになりました。

◆笑顔になる

最後になりますが、娘といると、親が笑顔になり発語も増えます。

おそらく、自分よりも理解度が低く守らなければならないと感じるからでしょう。

親の理解度も行動も、子供に近づいていっているのは事実です。しかし、娘を観察することで少しでも親のことも理解したいと思っています。

認知症患者の行動はこれで説明できるほど単純ではないと思います。しかし行動だけに目をやると疲れてしまうので、その理由を考えることも必要だと思っています。