【子供の可能性】日本語で育てるということ
アイデンティティの形成と言語には密接な関係があると聞きます。
子供の英語をいつ、どのように取り入れるのかを調べ、聞き、試しているなかで「日本語」で思考するということが一体どういうことなのかを考えるようになりました。
アイデンティティの形成ということは、単なる語順だけの問題ではなく、思想、感情にも影響するということです。
そこで、これに対して解につながりそうな一冊の書物(※)に出会いました。
興味深い点として「日本語がそもそも論理的な言語ではない」ということについて紹介します。
◆日本語は、そもそもが論理的な言語ではない。
日本語で書かれた文芸、歴史書が多数あるなかで、日本語による学問的思想の書が少ないと書かれています。
これは仏教、儒教を受け入れた時に、日本語ではその論理的概念を提示できなかったために、漢語漢文を用いたことに端を発するということです。
このことにより漢語が日本人の思想の機関となり、文芸としての日本語との間に距離ができたというのです。
- そのため思惟(深く考えること)を論理的に発展させず、情意の表現が強くなったと述べられています。
- 動詞が、主格の単数、複数に関わらず、あくまでも働きだけを言い表すこともそれを表しています。また動詞そのものは「時制」も持たないとも書かれています。
ここまで読むと、なるほどと思えます。
また、
- 助詞である「てにをは」は日本語特有であり、意味の強調や、濃淡などを表現します。
つまり、より、感情の表現が強い言語だとわかります。
◆日本語を母語とした子育てについて、私が思うこと
言語は、年々変化し、多くの人が使う言葉がデファクトとして定着化していきます。
例えば「ら抜き」言葉もその一例であると思います。言語は短くなっていくものだそうです。
私は豊かな情意を持つ日本語を、可能な限りいまの状態で子供に伝えたいと思っています。
そのためには、まずは言葉を丁寧に使おうと思います。
(※)和辻哲郎 (2016)日本語と哲学の問題