【子供の可能性】道徳について考える

2018年、小学校で道徳が教科化され、「道徳の時間」が「道徳科」になります。

その問題点を指摘した本(※1)を読みました。

そして本書は道徳の教科化への問題だけではなく、そもそも「道徳」がどのように成り立つのか、対話形式でわかりやすく書いてありました。

ここでは、子育てと照らし合わせて、共感したり発見した箇所を紹介したいと思います。

◆道徳の時間

数か月前、姪っ子(小4)の道徳の副読本を読んでいました。

いろいろな話が書いてありました。

さて、この「道徳の時間」はどれくらい記憶にあるのでしょうか?

残念ながらほとんど記憶にない人が多いそうです。

おそらく、その時間は、知識として得ようとしていたか、ふーん そっか、と思った程度だったからではないでしょうか。

「道徳の時間」では、主人公の心情を理解することに重きが置かれています。

しかし、理解はしたものの、例えば「困ってる人を助ける」ことは知識で知っているだけでは行動になりません。

人に対する優しさの感情がなければ行動にはならいのです。

つまり、規範を教えるだけでは意味がないのです。

子供には、豊かな感性を育てる必要があるのです。

最近はネット上でのコミュニケーションが常態化しています。

しかし感性を育むには直接的な仲間との触れあいが必要と書かれています。

◆相手の気持ちを理解する

仲間との直接的な触れあいだけでは、理解できないこともあります。

その場合はロールプレイによる擬似的な体験が役に立ちます。

・さらに本書では「市民道徳」という言葉が使われています。

ここで、市民道徳という言葉について少し説明します。

人には自愛心(アダム・スミスの自己愛)があり、自愛心によって他人との衝突が起こります。

この衝突による混乱を収めるためには「枠」が重要となります。

この枠とは「想像上の立場の交換」により設けることができます。

相手の視点を自らのうちに取り込み、

その視点から自らの感情や行為を制御する努力をする

つまり、

第三の観察者を置くということです。

このことで、

自分を特別の存在ではなく相手と同じ人間として捉えることができるのです。

◆さらに子供に対して

道徳には、消極的道徳と積極的道徳があると述べられています。

前者は、

論語でいう「己の欲せざるところを人に施すなかれ」であり

後者は、

新約聖書の「己の欲するところを人にも施せ」です。

・・・・

そして子供は「消極的道徳」の方が受け入れやすいというのです。

子供にとっては

「嫌いな相手を愛しなさい(積極的)」

よりも

「どんな相手でも相手の立場を考えなさい(消極的)」

の方が受け入れやすいのです。

◆アクティブ・ラーニング

さて、新しい指導要領のキーワードは、アクティブ・ラーニングです。

「考える道徳 議論する道徳」は、

その道徳教育版です。

知識中心からの転換で肯定的に評価もできますが、問題点もあると書かれています。

実際は教科書にそって「考えさせる道徳になる」心配があるのです。

そうならないためには、

考えることは個人の営みではありますが、

議論することが大切です。

議論は二人以上であり、

しかも、意見の違いがある。

ひとつの価値観に導く考えさせる道徳ではなく、議論することで考える力がつく

ことを期待しています。

また、人は議論を通して他者との違いを自覚し自らの考えを確立します。

そのためにも、やはり議論が大事なのです。

そして“考える”のは一体どういう場合なのでしょうか?

それは必要にせまられたときであり、特に、人生の重要事項においてです。

つまり、考える前提には生活上の経験があるのです。このことから経験の重要性もわかります

本書からは、

価値観を行動にうつすには、

・経験を通して育つ主体性、

・豊かな感性と決断力が必要

だとわかりました。

そして、子供に寄り添い、

自分はいてもいいと思うこと、

それが大人の重要な役割なのです。

教育改革に興味がある方、道徳心はどうやって育めば良いのか考えている方におすすめです。


(※1)碓井敏正「教科化された道徳への向き合い方」2017年8月