【本の紹介】モンテッソーリ教育(理論と実践)第4章

今日は「現代に生きるマリア・モンテッソーリの教育思想と実践」の第4章を紹介します。

KTC中央出版

現代に生きるマリア・モンテッソーリの教育思想と実践~空想的想像力から科学的創造力へ~

第1章 改革者としてのモンテッソーリと近年における世界のモンテッソーリ教育(早田由美子)

第2章 モンテッソーリ教育の内容・方法の概容と今日の実践が引き継ぐもの(森下京子)

第3章 モンテッソーリ教育の普及と逆境、そして発展-経験主義、ファシズムに抗し、宇宙的視野で生命を尊ぶ子らを育てる-(野原由利子)

第4章 モンテッソーリ教育における自己表現活動の特徴

1 モンテッソーリ教育における自由と自己表現活動の理論と特徴(島田美城)(⬅今日のブログ

2モンテッソーリ教育における音楽教育の内容・方法とその発展(藤尾かの子)

3モンテッソーリの幼児の音・音楽活動の実践例-横浜・モンテッソーリ幼稚園の取り組み-(島田美城)

4モンテッソーリの美術教育の内容(奥山清子)

5モンテッソーリの幼児のアート活動の実践例(村田尚子)

第5章 モンテッソーリ障がい児教育の理論と実践-保育の中の療育-(木下めぐみ)

第6章 モンテッソーリ教育リバイバルから半世紀を経て見えてきたこと(相良敬子)

第7章 モンテッソーリ教育の遺産と課題

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第4章 モンテッソーリ教育における自己表現活動の特徴

1 モンテッソーリ教育における自己表現活動の理論と特徴(島田美城)

(1)自由教育と自己表現

デューイやキルパトリック等経験主義者はモンテッソーリ教育について、自由や自己表現について批判的であった。

次項以降、モンテッソーリと経験主義や進歩主義者の違いについて詳細が述べられている。

(2)キルパトリック等が見た当時のモンテッソーリ教育の活動

キルパトリック等が批判した要因には次のことがある。

ローマの子どもの家を視察してきた時、日常生活の練習や少しの感覚教具しかなく、その他の教具は開発段階であった。また自由画が少なく、この初期段階を見たキルパトリックは「教具は不十分な自己表現しか与えない」と批判を展開した。

(3)自由を与える時期についての解釈の違い

・キルパトリックの(プロジェクト・メソッドの)自由とは

学ぶ場所はこどもの自由で、こどもが自発的に選んだ活動に、場当たり的に問題解決していく。

はじめから何でも自由、経験のみ重視するというもの。

・新教育運動の自由とは:

固定化された学習方法や順序を打ち破り、こどもが偶然出会ったものを体験しそこで出会った問題を自らの力で解決するという“偶発的な自由”をいう

・モンテッソーリ教育の自由とは:

例えば【食事時の自由】であれば、

卓上にあるもので遊んだり走り回ったりすることではない。

こどもの内的ニーズは「秩序」「知性」である。

食卓に向かうことで【こどもが自分に必要な栄養を自分で選び組み合わせ好きな速度で満足するまで】食べるということを表す。

モンテッソーリが考える自由は、大人になったときに【自分が意図することを自由に、社会のなかで自己表現できる】ことである。

つまりこどもの時に自由人になるのではなく大人になってから自由になるための教育である。

(4)モンテッソーリによる「教具・教材提供の順序と段階」

モンテッソーリは乳幼児が求める活動、敏感期のために、約150種類の教具・教材からこどもが自由選択できるように展示していた。

そして、その活動を5分野に分けた。

モンテッソーリ教具は、単純なものから複雑なものへ5段階に分れ、こどもが自分の力で安全に辿れるよう環境として作り上げられている。

つまり、教具・教材には系統性順序性がある。

(5)自由で想像的でかつ創造的な教材の適用年齢

モンテッソーリ教育の中での創造は、年長、小学生であれば、

これまで学んだ知識、技能を総合しイマジネーションの中で無から有へ、それを現実的に作り出していく。

これは荒唐無稽な思い付きのような想像力、創造力とは時期も質も異なる

(6)批判に応えて

キルパトリックの批判が、モンテッソーリ教具の初期段階であったのみならず、批判もあり教具・教材の種類、範囲は広がった。

(7)モンテッソーリが求めたさまざまなレベルでの自己表現

・乳幼時期:教具選択をすることが自己表現である。「この活動に没頭したい」という本能により欲求すること自体が自己表現。

この経験の積み重ねが「個」を育てる

・上記(4)の5段階中、4段階までくると「活動の選択と集中」を繰返して、個が育ち、自分の考えと感性、判断力が育っている。

具体的活動から概念化、抽象化、記号化へと以降していく。

また手や身体を正確に動かせるため絵筆や楽器、文字や記号で表現できるようになる。

・人間性のある生き方ができることが「自己実現」である。

・社会、世界のなかで自分自身の個性に基づき、宇宙における自分の使命役割分担に気づき、自分の個性を表現しながら、宇宙全体の生成に建設的に奉仕する生き方を選択すること。

モンテッソーリのいう自由や自己表現とは、このように生涯を通じて、社会のなかで創造的に自己を構築していくということである。

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モンテッソーリ教育は「規律の中の自由」を大切にしています。

「人間が、人間たる自由」つまり、他人の領域を侵したりせず、意識せずともその領域をわかり、その上で自分の力を発揮し役立てることが、このモンテッソーリ教育の自由・自己表現ではないかと思うのです。

モンテッソーリ教育は、自由により、確立された自己が想像を働かせ行動に移す内容そのものが社会に貢献する、そのような人間を育てることであると思います。