幼児教育って何なんだろう?
英語?字?計算?

やっぱり「教育」という言葉を聞くと、その後に続く動詞は“する”。つまり「教育する」となりますよね。そして、「教育する」のは親である自分だと。すると「教育する」のだから、教えますよね。うん、自然な流れ。教育される子どもは英語や字を書くことや数えることなど、たくさんの技能を早くから身につけます。

さて、そこで育つ精神はどのようなものでしょうか。おおらかな心で、自分に関わる多くの命を感じながら、その不思議に取り込まれ、自ら知りたい・そのためにはどうやって動けばよいかを考えるな思考力、判断力、自己決定力などがぐんぐん伸びていくでしょうか。

私は、大人ができること(字を書いたり、計算したり)の入り口を1歳でも早く身につけることがさほど重要だとは思っていません。

それよりも、考え、取り組み、試行錯誤を楽しむ幼少期を送ることで人間の脳の持つ無限の力を育てたいと考えます。

■モンテッソーリ教育では「教育する」のは、子ども自身であると考える

これはモンテッソーリ教育の児童観でもあります。子どもというのは、様々な環境と関わりながら自分自身を成長させていきます。その環境を準備するのが大人の役割です。つまり「教育する」のは子ども自身なのです。丁寧な言葉を使う大人からは丁寧な関わりを学び、他人にも丁寧に接するようになるでしょう。ボタンを留めるのに苦労している子どもにゆっくりをやり方を見せれば、留められるようになりたい一心でその動きを獲得しようとするでしょう。

■特に小さい子どもに必要なのは「日常生活の練習」

日常生活をわざわざ練習するの?と思う方もいらっしゃるかも知れません。日常生活、とは、例えば洗濯ばさみを使う動作。(洗濯物を干す、など)これは主に親指・人差し指・中指を使いますね。まさにこれは箸や鉛筆を持つ土台となる動作です。他にはハンカチを折るということ。端と端を重ねる、丁寧に折り目をつける、しっかりと動きをコントロールしなければなりません。ごますりは?すりこぎを握って力をこめてゴリゴリとする・・・これは随意運動といって、自分で体を意識的に動かす運動です。(不随意運動は呼吸など無意識で使う筋肉の運動のこと)日常生活こそが、乳幼児期に獲得したい能力の結集であり、脳、身体、精神、すべてを作り上げていくものなのです。

■でも、「勉強」もさせたいな。という方へ

私は、小学校受験や幼稚園受験をする親御さんのサポートをしてきました。子どもを観察し丁寧に日常生活をすることをお勧めしています。塾では志望校対策としてその学校の試験で出題される問題に取り組みますが、その基本にあるのはやはり日常生活。「自分でスモックをたためるか」「箸で豆を移せるか」など・・・
東京での女子御三家幼稚園のうち2つに合格された方、国立大付属小学校に合格された方、私立小学校への合格など・・どの親御さんにもご家庭で、とりつくろった受験対策ではなく丁寧にモンテッソーリ教育に基づいた日常生活の取り組み方をお伝えしてきました。子どもの生きる力、自ら学ぶ姿のある子どもさんたちは、どの園、学校でもきっと頼もしく見えるのだと思います。

ぜひ、明日からできる日常生活の練習をひとつ、取り入れてみてください。

靴をそろえる、自分の洗濯物のうちズボンだけは自分で畳む、丁寧に手を洗う、一人で鼻をかむ、椅子から立ったら椅子をしまう、など・・・それを丁寧に繰り返しする。まずはそこから始めてみてください。