ほめ方叱り方で変わるのは子どもだけじゃない(後半)

アドラー心理学は、目的論(その行為には達成したい何かしら目的がある)ですが、子どもが泣いたり怒ったりするのはなぜでしょうか。

イヤなことがあったから?(原因論)それとも相手に何かをわかってほしいから?(目的論)

そのどちらもあるのでしょうが、ほめ方叱り方を学んで子どもを見て思うのは、その原因が何であれ脳はパニックを起こしているんだなということ。

何かの原因があるとして「何が嫌だったの?」と聞くのも、目的があるとして「どうしてほしいの?」と聞くのも、全ては子どもが落ち着いてから。落ち着かないうちから「どうしてほしいの?」と聞くのは現状の極小化と紙一重だと感じています。(早く現状をおさめたくて、「だからどうしたいのよ」とたたみかける場合も多いし、、)

だからこそ、まずは共感。共感というと同じ思いでなければならない気がしますが、そうではなくて“目の前にある事実の背景に思いを馳せ、何かしら背景があるということを受け入れる”ことが第一歩だと思うのです。

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そして先日。事件勃発。娘を幼稚園まで車で送迎しているのですが、帰り際、車に乗るときに「おやつないの?おなかすいた」と言う娘。

実は幼稚園プレの時から片道1時間、帰りはおなかがすくので車の中がおやつタイムでした。それが癖になっていて(そりゃ癖になるよね。それがおやつタイムだったんだから)、片道15分の幼稚園に入園した今も、降園時に「おやつは?」と聞いてきて、ないよと言うと、ものすごい怒る。(けっこうな頻度で)

けっこうな頻度で怒る、ということは、私の対応が何かしらまずいに違いない。まずくなければ、その怒りのルーティンはなくなってるはずなのだから。

その時の娘、「おやつ持ってきて!じゃないと帰らない!車乗らない!」と駄々をこねる。お見送りの先生がずーっと待ってる。とにかく早く車に乗って〜!!

「食べたい気持ちはわかったよ。お腹がすいたということも。(精一杯の共感、寄り添い)。でも、お母さんはいつもいつもおやつないよ、って言ってるよね?(あぁ、娘はいつも言われてるという意識すらないんだろうな、、)おやつを降園途中に食べるなんてみんなしてないよ?(暗に人中心批判··)家について、手を洗って、それでいただきます。しかもお腹すいたといってもおにぎりじゃいや、チョコじゃなきゃいや、って、、、もうそれやめて!」と長々と怒りながらイヤミたっぷり言ってしまった。

ただ、車でチョコが食べたいだけの人にこんなに言う必要ある?ってくらい、溢れる言葉が止まらない。

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そこで気づいた。毎回、娘が怒ってしばらくは寄り添っていられるけどあるタイミングから私の左脳が右脳にたべられてしまう。

右脳には右脳で寄り添う(感情的になってる時に理論を突きつけても聞き入れられない)、を基本にしているけれども、私の右脳は寄り添い途中から相手の右脳に共鳴(?)して左脳を凌駕してしまう。

娘に寄り添っていた私の右脳が、どんどん娘の怒り色に染められていくのを感じる時があるのだ。冷静で落ち着いた(左脳)感情が、右脳の高ぶりに追いやられて、まわりが見えなくなる(左脳ストップ、右脳フル稼働)。

全く科学的根拠のない私の感覚なのですが、きっと右脳は良い方向へも悪い方向へも相手に共鳴するんだと思うのです。

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娘、4歳7ヶ月。説得すればわかりそうな気もするけどまだまだ話すら理解してないのが現実。感情コントロールできそうな気もするけど、感情コントロールではなく抑え込むことくらいしかできない。(親がこわくて)

ほめ方叱り方を学んで、イラッとすることは本当になくなったけれども娘の駄々に応戦してるようではまだまだ。

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