【モンテッソーリ理論】大人の対応について

モンテッソーリ教育の勉強をしてから、いろいろな物事の見方が変わりました。

今日は「子どもへの親の対応」について書いてみたいと思います。

◆よくある親の姿

とてもおとなしいAちゃん(2歳)という子がいました。

ある日、オモチャで遊んでいました。

そしてオモチャから少し離れた時に別の子どもがそのオモチャで遊びだしました。

一瞬 目を離したというくらいのわずかな時間だったので、明らかにAちゃんは遊び終わっていませんでした。

Aちゃんは、それを指差して「あ、あ・・」と言って母親の方を見ました。すると「遊んでなかったんだから、貸してあげなよ」と言われてしまいました。

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またある日、公園から帰ろうとした時に、水道の蛇口の開け締めを楽しんでいたAちゃん。

「家で洗えばいいじゃん。」と母親が言いました。

◆このお母さんの発言はおかしい?

私はこういった姿は珍しいとは思いません。

ただ、子どもの発達の芽を摘んでいる発言だと思うのです。

子どもの行動に対して大人から見た感想や意見を言っています。

“そのオモチャで遊んでなかったんだから貸してあげなよ”も、”家で(手を)洗う”も、大人からすれば自然な発言ですが、子どもの目線から見たらどうでしょうか。

自分がやりたいことを中断され、よくわからない理由で説得されています。

これらの言い方を変えることはできないのでしょうか。

「遊んでなかったんだから、貸してあげなよ」➡「まだ遊びたい?まだ遊んでるなら終わってから貸してあげる?」

・・・感情を整理してあげる。貸す、貸さないは本人に決めさせる。

「家で洗えばいいじゃん」は、時間がなければ「まだやりたいよね」と一旦共感してあげてほしいのです。

・・・手を洗いたいのか、ただ水遊びをしたいのかわかりませんよね。

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2歳くらいの子どもは、身体を動かす必要に駆られて動かしています。

また、いまやっていることを、最後までやり遂げたいのです。

オモチャを飽きるまで触るのも、蛇口をひねる動きも、何度も何度もやりたいのです。

人間の脳は、同じ動きを繰り返し、神経回路を強化させます(ミエリン化、髄しょう化といいます)。

そうして動きが洗練されていきます。

このミエリン化している時に現れる繰り返しの行動を見て、モンテッソーリは子どもには「敏感期」があるといいました。(医学用語では臨界期)

心身発達のために、体内からの必要に駆られて何かをしている子どもは、驚くスピードでそのことを自分のものにしていきます。

この「敏感期」に、中断することなく作業を続けられた子どもは、満足を得て「自分はやればできるんだ」と感じ自己有能感を持つことができます。

子どもの行動は、大人からみると無駄で不可解です。

しかし、大人の思い付く理由とは全く異なる理由が子どもの中にはあり、行動の主人公は子どもであるということを忘れないでほしいと思います。