【本の紹介】モンテッソーリ教育(理論と実践)第6章
今日は「現代に生きるマリア・モンテッソーリの教育思想と実践」の第6章を紹介します。
◆KTC中央出版
現代に生きるマリア・モンテッソーリの教育思想と実践~空想的想像力から科学的創造力へ~
第1章 改革者としてのモンテッソーリと近年における世界のモンテッソーリ教育(早田由美子)
第2章 モンテッソーリ教育の内容・方法の概容と今日の実践が引き継ぐもの(森下京子)
第3章 モンテッソーリ教育の普及と逆境、そして発展-経験主義、ファシズムに抗し、宇宙的視野で生命を尊ぶ子らを育てる-(野原由利子)
第4章 モンテッソーリ教育における自己表現活動の特徴
1 モンテッソーリ教育における自由と自己表現活動の理論と特徴(島田美城)
2モンテッソーリ教育における音楽教育の内容・方法とその発展(藤尾かの子
3モンテッソーリの幼児の音・音楽活動の実践例-横浜・モンテッソーリ幼稚園の取り組み-(島田美城)
4モンテッソーリの美術教育の内容(奥山清子)
5モンテッソーリの幼児のアート活動の実践例(村田尚子)
第5章 モンテッソーリ障がい児教育の理論と実践-保育の中の療育-(木下めぐみ)
第6章 モンテッソーリ教育リバイバルから半世紀を経て見えてきたこと(相良敬子)(⬅今日のブログ)
第7章 モンテッソーリ教育の遺産と課題
****
第6章 モンテッソーリ教育リバイバルから半世紀を経て見えてきたこと(相良敬子)
1 リバイバル当時と、それから30年ほど経った頃
モンテッソーリ教育がリバイバルした1960年代初頭。
この頃は、米ソ冷戦の只中にあり、ソ連が人工衛星の打ち上げに成功したことに焦燥感を覚えたアメリカが、子どもの知的能力開発に着手した時代である。
このとき白羽の矢が立ったのがモンテッソーリ教育であった。
その後、アメリカから世界的に広がったリバイバル運動が日本に持ち込まれ、日本でもリバイバルが起こったのが1965年。
1990年に、1956年以来「6領域」として動かなかった国の指針が抜本的に改定されたが、新しい指針は「環境を通してする教育」であった。それはモンテッソーリ教育から大きな示唆を得たものであった。
しかし日本では「遊びを見守る」「遊びに寄り添う」といった「遊び」が至上原理となり、モンテッソーリ教育で見られる子どもの”善い行動”には至らなかった(教師を困らせる子どもが多くいた)。
つまりモンテッソーリ教育を受けた子どもと、”遊びだけ”で育った子どもは驚くほど対照的であった。
2 リバイバルから40年経って見えてきた幼児期の「正常化」の結果
モンテッソーリ教育による「子どもの正常化は続くのか?消えるのか?」をテーマに、次のことが議論されてきた。
まず正常化という言葉を使うにあたっての3つの前提がある。
①本質的に正常な状態を有しながら正常ならざるものが表面化している
②正常化の普遍的な基準および理論があること
③正常化を促すための客観的な方法が存在していること
そしてモンテッソーリ教育を受けた人々が大人になった姿を今、見てみると、「人間本来の善さ」を見せてくれるに至っている。
この【正常化】を「発見」と「脳科学」の観点から見てみる。
3 40年を経て見えてきたモンテッソーリ教育の「発見の構造」
バーナード・ロナガン(哲学者)によると【発見】には3つの過程が必ず存在する。
①第一段階「経験」。感性で「オヤッ」と思う。そこから「何?」という問いが生じる。
②第二段階「理解」。知性で理解し「なるほど」と思うと、更に「それは正しいか」というもう一つ高いレベルの問いが生じる。
③第三段階「判断」。理解したものを確認すると「やっぱり」と思う。その判断が実行を促す。
マリア・モンテッソーリは2つの【発見】をした。
- 一つ目は「子どもの観」の発見である。
子どもは「自由選択し」→「繰り返し」→「集中し」→「正常化」するというものである。
- 二つ目は「教え方」の発見である。
教える技術「提示」は動作を分析し、スローダウンして黙って「見せる」という方法である。この動作を本能的に必要としてる子ども(敏感期にある子ども)がいるということを突き止めた。これが「教え方」の発見である。
次に、本能的に「提示」を必要としている人たちの脳に何が起こっているのかを見てみる。
4 脳科学の時代に至って見えてきた「正常化」の背景
脳の「前頭連合野」は、計画性、段取り、臨機応変の対応力、先を見通す力などを司る。
この前頭連合野の神経回路はミラーニューロンとワーキングメモリを活発に働かせることで豊かになる。
モンテッソーリ教育で作業(お仕事)するのは【子どもは提示をしてもらい、それを記憶し(ミラーニューロン)、自分のリズムで実行する(ワーキングメモリ)】という流れになる。
つまり、モンテッソーリ教育を受けた人たちが、前頭連合野の働きによる行動(計画性、段取り、臨機応変の対応力、先を見通す力など)を見せるのは、共通した特徴なのである。
もうひとつ「活動のサイクル」に関する発見についても述べてみる。
子どもは最初、選んだ活動を上手にはできない。それを何度も繰り返し行いできるようになると本当にうれしそうな顔をする。このとき脳内では快感を生み出すドーパミンが分泌されている。
この快感という報酬を味わうと、脳はそれを何度も繰り返す。
繰り返すことによって「学習」していくのである。
繰り返しを続けると脳内では神経回路がつなぎかわっていくと考えられている。このことで、その置かれた環境において報酬を求める行動をするようになる。
周囲になじまない行動をしていた子どもが、周囲になじむ行動をとるのはこのようなことが背景にあるのであろう。
そして確実な報酬を得た体験を踏み台にして、「未知の報酬」を求めて動き始める。
モンテッソーリ教育の現場でひとたび変わる経験をした子どもが、それを契機にどんどん世界を広げていく事実の背景は、脳科学からも解釈できるのではないだろうか。
***********
本章では、一度アメリカから排除されたモンテッソーリ教育がいかにしてリバイバルをむかえたかを知ることができる。
そして、それが消えることなく世界に普及した背景は、脳科学からも証明されそうである。
本質的でないものは長く残らないと言われているが、モンテッソーリ教育は人間の本質を引き出す自然体かつ究極の教育法のように感じるのである。